2010,Oct,26,21:03

冬がはじまるよ

冬めいてきましたね。朝は寒いし街には女性のブーツの足音がごつごつと響いて、今日も札幌じゃ初雪らしい。
いやまぁ、特に書きたいこととかないんだけど。

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どの季節が好き、なんて取り留めのない話よりも、季節の移り変わりそのものに目を移したい。季節の巡る様というのは心の踊るものです。自分が年老いていくという事実にさえ目をつむれば。
不思議なのは、一つの季節が過ぎ新たな季節が巡ってきた時、思い起こすのは決まって過去の事、というところ。
あぁ、今年の夏はこんなだったなぁと、過ぎゆく季節を思い返したり、去年の冬はこんなだっけなぁと、一年や二年も前のことを思い出したり。目を逸らしたくなるような過去の経験も、自分なりに綺麗にパッケージングできているのかなぁとか、根拠もないことを思ったり。

そういう自分の中の打ち震えを感じるのは、いつも頭でなく心の部分。
心というのはいつもどこかふわふわと漂っていて、どうにも上手くつかめません。
人の存在というのはいつも、過去と未来の間の、一瞬しかない現在を生きてる。そしてその現在さえも通りすぎていくだけで、時間の流れに乗っているだけの存在に過ぎないわけだけど
まだ到来していない未来を想っては心が震え、過ぎてしまった過去を振り返っては締め付けられて苦しくなって、いったい心はいつを生きているのだろう、とか。

心というものについて語れることは本当に少ない。けれどこの心の震えみたいなものは確かなもの。
あの冬強烈につきささったあのメロディはまだ鳴り響いている。

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「まだ起きていないことはまだ起きていないことだし、起きてしまったことはもう起きてしまったんだ。気に病んだって仕方ない」

これはいつの間にか身につけていた一つの考え方。特殊なことはなにもない。ただの考え方だ。
でも単純なことだけど、これだって結構使える場面もあってさ。
現実的に、とても現実的に、自分は時の流れの上の特異的なこの時点にいるというだけの話だ、と認識する。ある種どこかの回路をシャットアウトする感覚で。

こういうことをやってきて、上手くやり過ごせてきた場面もまぁあったけど。
単純にそれだけじゃなくて、先述の「心の浮遊性」みたいなものを、俺はその時に考えてはいなくて。
そういうこともちゃんとわかっていれば、そしてそれを踏まえて、自分だけじゃなくて他人のことも真剣に考えていれば、もっと違った道もあったかもなぁ、なんて。

まぁそんな事を考えたところで、それこそそれはもう起きてしまったことで。
大体そんな取り留めのない話を考えたところで、このつまらない人生に大した差はないのだろう。
ドーナツの真ん中を空白として捉えるか存在として認識するか、そんなことを考えたってドーナツの味は変わらない、ってね。

そういう非現実的な問題は哲学者に任せておけばいい。

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とにかく、冬だ。
透き通ったピアノの音、電車の窓に映る乾いた風景。

今年はどんな季節になるだろう。

written by DITA | 続・使い道のない話

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