2010,Nov,28,17:06

ロスト アンド ファウンド

朝になった 眠れずに 夜が僕に愛想を尽かせた
彼はずっと 気にしてた 答えはもっと複雑じゃなくちゃ

つないだ手 ふりほどいて ふさいだ目 その奥で
あの日あの時の僕らが いつも笑ってたのは嘘じゃない

ひとりきり 繰り返している ひとりごと
僕はずっとつぶやいてる 大丈夫 大丈夫だよ

written by DITA | 続・使い道のない話

2010,Oct,26,21:03

冬がはじまるよ

冬めいてきましたね。朝は寒いし街には女性のブーツの足音がごつごつと響いて、今日も札幌じゃ初雪らしい。
いやまぁ、特に書きたいこととかないんだけど。

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どの季節が好き、なんて取り留めのない話よりも、季節の移り変わりそのものに目を移したい。季節の巡る様というのは心の踊るものです。自分が年老いていくという事実にさえ目をつむれば。
不思議なのは、一つの季節が過ぎ新たな季節が巡ってきた時、思い起こすのは決まって過去の事、というところ。
あぁ、今年の夏はこんなだったなぁと、過ぎゆく季節を思い返したり、去年の冬はこんなだっけなぁと、一年や二年も前のことを思い出したり。目を逸らしたくなるような過去の経験も、自分なりに綺麗にパッケージングできているのかなぁとか、根拠もないことを思ったり。

そういう自分の中の打ち震えを感じるのは、いつも頭でなく心の部分。
心というのはいつもどこかふわふわと漂っていて、どうにも上手くつかめません。
人の存在というのはいつも、過去と未来の間の、一瞬しかない現在を生きてる。そしてその現在さえも通りすぎていくだけで、時間の流れに乗っているだけの存在に過ぎないわけだけど
まだ到来していない未来を想っては心が震え、過ぎてしまった過去を振り返っては締め付けられて苦しくなって、いったい心はいつを生きているのだろう、とか。

心というものについて語れることは本当に少ない。けれどこの心の震えみたいなものは確かなもの。
あの冬強烈につきささったあのメロディはまだ鳴り響いている。

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「まだ起きていないことはまだ起きていないことだし、起きてしまったことはもう起きてしまったんだ。気に病んだって仕方ない」

これはいつの間にか身につけていた一つの考え方。特殊なことはなにもない。ただの考え方だ。
でも単純なことだけど、これだって結構使える場面もあってさ。
現実的に、とても現実的に、自分は時の流れの上の特異的なこの時点にいるというだけの話だ、と認識する。ある種どこかの回路をシャットアウトする感覚で。

こういうことをやってきて、上手くやり過ごせてきた場面もまぁあったけど。
単純にそれだけじゃなくて、先述の「心の浮遊性」みたいなものを、俺はその時に考えてはいなくて。
そういうこともちゃんとわかっていれば、そしてそれを踏まえて、自分だけじゃなくて他人のことも真剣に考えていれば、もっと違った道もあったかもなぁ、なんて。

まぁそんな事を考えたところで、それこそそれはもう起きてしまったことで。
大体そんな取り留めのない話を考えたところで、このつまらない人生に大した差はないのだろう。
ドーナツの真ん中を空白として捉えるか存在として認識するか、そんなことを考えたってドーナツの味は変わらない、ってね。

そういう非現実的な問題は哲学者に任せておけばいい。

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とにかく、冬だ。
透き通ったピアノの音、電車の窓に映る乾いた風景。

今年はどんな季節になるだろう。

written by DITA | 続・使い道のない話

2010,Oct,21,10:34

秋をこじらせて

前に泣いたのはいつだろう。いつかの冬だったか。定かじゃない。
時々細々とした感情が波みたいに押し寄せてくる。そういう事が前にはよくあった。

もうないものだと思ってた、頭の上をずっと悪い風が吹いていたあの時だけだと思ってたけど。

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「正しい」という言葉には攻撃性がある。

極論的だけど、例えば誰かが言葉や行為で誰かを傷つけた、とか、誰かが誰かを蹴落としてのし上がった、とか。
世界の色々な場面、色々なレベルで、正しい側と正しくない側があり、原因と結果のロジックがあり、時には勝ち負けがある。浮気をするのは間違ってる。仕事が見つからないのはお金がないのはこれまで頑張ってこなかったんだから言い訳をする権利はない。辛いと文句を言うその仕事はお前が選んだのだから。今の生活は学校をドロップアウトした結果だろう。エトセトラ、エトセトラ。

実際、世界を動かしているのは殆どがそういうロジックなんだろう。そういう論理や理屈が俺達のこの生活や暮らしを律して、保障している。規則のないところに平穏はないだろうし、規律のないところに自由はない。

けど、そういう正しさや理だけでは片付けられない問題が、当たり前だけどたくさんあって。
そういう中で無理矢理に正不正のラベルを貼る行為は、どこか人を置き去りにしてしまうような冷酷さがある。侮蔑の目で人を見る無言の攻撃力がある。
俺達は「正しさ」という言葉を武器にどこまでも人を責めることができる。誰かが少しでも道を外れたそんな時、「正しさ」は人を赦さない。

そういう攻撃性を抜きにしても、実際に世界はそういうラベルを貼る行為によって動いてきたのだろうし、これからもそうなのだろう。それは当たり前に、月曜日の次に火曜日がくるように。

ただ、これもまた断言できる。それだけじゃ世界は回らない。
誰もがそういう行動規範に立っていたら世の中はもっとかっさかさの、つまらないものになっていただろうし、俺達のささやかな生活の中ではそういうものの無力さを経験的に学べる場面が多くある。
長いこと付き合った連れ合いに振られた友人がいる。早くに結婚してストレスに潰れそうな友人がいる。2,3年後しの教員採用試験に落ちた友人がいる。
そういう奴らを前に、俺達は何と言ってやればいい?そこで持ち出す正しさや一般論に救いがなく、時には相手を深く傷つける力もあるという事を、俺はもう知っている。
誰かを抱きしめる時に、吐き出された心の内に傾聴する時に、正論や一般論しか持ち出せない世界の、一体どこに音楽や小説なんて生まれるだろう。

想像力を持って、ただそばにいるだけ。
時には同じところまで落ちて、深いところまで潜って、共有することが大切なんだ。
必要なのは想像力。見落としちゃいけないのは「人はみんな不完全な存在」という当たり前の事実。

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俺も幾分遅れながらもこれから否応なく社会に出ることになる。その「社会」という場はロジックの世界だ。ここまで書いてきたような事を振りかざしていれば「お前は甘い」と指をさされるだろう。
でもそういう世界でも、そういう世界だからこそ、この「想像力の優しさ」が大切なんじゃないか。不完全なものの集合は完全になりうるかもしれない。けれど不完全な存在の集合にあって正しさと優しさが完全に相反するはずがない。
きっと正と不正で物事を結論づけなければいけない場面の連続だろう。でも優しさを持ってそれをする場面だってあるんじゃないか。むしろそれが殆どなんじゃないか。

俺は頭が悪いから人より想像力がないし配慮に欠ける。その点遺伝子を受け継いでいるであろう親父を眺めていると嬉しくて涙も出ない。
けれどその分、人より少しは色濃い経験もしたし、手痛い目にも合ってきたように、自分なりには思う。それが無ければあの涙だって流れなかったはずだ、と思いたい。
俺だから辿りつける深い場所だってあるだろう。

この優しさがいつか誰かを救うこともある。そしてそれは時に正しさも不正さも飲み込むような大きな力になるかもしれない。
そんな希望的観測を持って。

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久しぶりの涙。目を覚ましてコーヒーを2杯ばかり飲んだら多少頭はすっきりした。
もう昨晩から今朝にかけての事は(ここ数日の事は?)書かないでおこう。忘れたってなんてことない。
周りの奴らはもう立派に働いているってのにこの生活。もう23という現実。
いくら普段笑って過ごしていたって、誕生日を祝うメールを投げた後に突然悲しくなることだって、いくつになってもあるんだろう。
落葉と金木犀の香りの季節なんて、特に。

written by DITA | 続・使い道のない話

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